高齢者における「座っている時間(座位行動)」が、運動習慣の有無に関わらず、脳の萎縮や認知機能の低下に関連していることを、7年間の追跡調査で明らかにした研究があったので共有します。(R)
実験概要(医学論文に基づく要約)

研究タイトル
高齢者において、高い身体活動レベルにもかかわらず、座位行動の増加は7年間にわたる神経変性および認知機能の悪化と関連している (Increased sedentary behavior is associated with neurodegeneration and worse cognition in older adults over a 7-year period despite high levels of physical activity)
研究目的
客観的に測定された座位行動(座ったり寝転んだりしている時間)が、高齢者の脳構造(神経変性)および認知機能の変化とどのように関連しているかを、横断的および縦断的(長期的)に調査すること。特に、中強度から高強度の身体活動(MVPA)の影響を調整した上で、座位行動が独立したリスク因子となるか、また遺伝的リスク(APOE-ε4)によって影響が異なるかを検証した。
対象
ヴァンダービルト記憶・加齢プロジェクト(Vanderbilt Memory and Aging Project)に参加した、研究開始時点で認知症のない高齢者404名(平均年齢71±9歳、54%が男性)。参加者の87%はCDCの推奨する運動ガイドライン(週150分以上のMVPA)を満たす活動的な集団であった。
方法
- 座位行動の測定: 手首装着型の加速度計(ActiGraph GT9X Link)を24時間×7日間装着し、客観的なデータを取得。
- 脳画像解析: 3T MRIを使用し、脳全体の灰白質、前頭葉、側頭葉、頭頂葉、後頭葉、海馬の体積、およびアルツハイマー病(AD)に関連する皮質の厚さ(ADシグネチャー)を測定。
- 認知機能検査: エピソード記憶、実行機能、言語、処理速度、視空間能力などを評価する包括的な神経心理学的検査を実施。
- 解析: 年齢、性別、教育歴、APOE-ε4保有状況、脳卒中リスクなどを共変量とし、MVPA(運動時間)を調整した線形回帰モデルおよび線形混合効果モデルを用いて解析した。平均追跡期間は4.7年(最大7年)。
主な結果
- 横断的解析(ベースライン): 座位時間が長いほど、アルツハイマー病に関連する皮質の厚さ(ADシグネチャー)が薄く、エピソード記憶の成績が低かった。APOE-ε4保有者では、座位時間が長いことが総灰白質、前頭葉、頭頂葉の体積減少と強く関連していた。
- 縦断的解析(経時変化): ベースラインでの座位時間が長いほど、海馬の体積減少(萎縮)が速く進み、呼称能力(名前を思い出す力)や処理速度の低下が速まることが示された。
- 独立性: これらの関連性の多く(特に縦断的結果)は、中強度以上の運動(MVPA)の影響を統計的に取り除いても依然として有意であった。
明確になった事と判明しなかった不明確な点
【明確になった事】
- 座位行動は独立したリスクである: 日頃から十分な運動(週150分以上の中高強度身体活動)をしていても、座っている時間が長いこと自体が、脳の萎縮や認知機能低下のリスクとなる。
- 海馬への悪影響: 座位時間が長いことは、記憶の中枢である海馬の体積が経時的に減少するスピードを速めることと明確に関連している。
- 特定の認知機能の低下: 長時間の座位行動は、特に「呼称(物の名前を言う能力)」や「情報処理速度(頭の回転の速さ)」の経時的な低下と関連する。
- 遺伝的リスクとの相互作用(横断的): アルツハイマー病の遺伝的リスク因子である「APOE-ε4」を持つ人において、座位時間が長いことは、脳全体や前頭葉・頭頂葉の体積減少とより強く関連している(ベースライン時点での解析)。
- 客観的データの重要性: 自己申告ではなく、加速度計を用いた客観的な測定によって、活動的な高齢者集団においても座位行動の悪影響が確認された。
【判明しなかった不明確な点・限界】
- 因果関係のメカニズム: 座位行動がなぜ脳に悪いのかという生物学的なメカニズム(例:炎症、血流低下、酸化ストレスなど)は、本研究では推測(考察)に留まり、直接的には証明されていない。
- 多様性の欠如: 参加者の多くが高学歴であり(平均教育年数16年)、人種的にも白人が大半(85%)であったため、他の社会経済的背景や人種を持つ集団にも同じ結果が当てはまるかは不明確である。
- 測定デバイスの装着位置: 加速度計は手首に装着されたため、太ももや腰に装着する場合と比べて、立位と座位の区別などの精度が異なる可能性があり、その影響は完全には排除できていない。
- 24時間の行動構成の最適解: 睡眠時間を含めた24時間サイクルの中で、身体活動、座位、睡眠を具体的にどのような配分にするのが脳に最適かという「最適な時間の使い方」までは導き出されていない。
- APOE-ε4保有者の長期的変化の特異性: 横断的解析ではAPOE-ε4保有者に強い悪影響が見られたが、縦断的解析(経時変化)では、後頭葉を除き、APOE-ε4保有状況による統計的に有意な相互作用(保有者だけが急激に悪化するなど)は明確には確認されなかった。これは、保有者ではすでに萎縮が進んでいた可能性があるため、より若年層からの追跡が必要であることが示唆された。
詳細解説

運動していても「座りすぎ」は脳に悪い?
健康のために「運動」が大切であることは広く知られていますが、この研究はそれだけでは不十分かもしれないという衝撃的な事実を提示しています。
これまでの常識では、「ジムに通っているから」「毎日散歩しているから」といって、それ以外の時間を家で座ってテレビを見て過ごしていても問題ないと思われがちでした。しかし、この論文の研究結果は、「たとえ十分な運動をしていても、座っている時間が長ければ、脳は縮み、頭の働きは鈍くなる可能性がある」ことを示しています。
この研究を行ったヴァンダービルト大学のチームは、認知症のない高齢者400人以上を対象に、最新の機器を使って7年間にわたり詳細な追跡調査を行いました。
調査の方法:どのように調べたのか
研究チームは、参加者の「感覚」に頼るアンケート調査ではなく、より正確なデータを取るために「加速度計」という腕時計型のセンサーを使用しました。参加者はこれを24時間、7日間連続で手首に装着し、1日のうち「どれくらい動いているか」「どれくらい座ったり動かずにいたりするか」を秒単位で記録しました。
同時に、MRI(磁気共鳴画像法)を使って脳の形や大きさを精密に測定し、記憶力や思考力を測るための様々なテスト(神経心理学的検査)も行いました。これらを数年おきに繰り返し行うことで、「座っている時間の長さ」が「数年後の脳の状態」にどう影響するかを分析したのです。
重要なのは、この研究に参加した人たちが、平均して非常に健康意識の高い人々だったという点です。参加者の約9割は、アメリカ疾病予防管理センター(CDC)が推奨する「週に150分以上の中強度以上の運動(早歩きやジョギングなど)」をクリアしていました。つまり、「運動不足の人」を調べたのではなく、「運動はしている人たち」の中での「座っている時間」の影響を調べたことになります。
座りすぎは「記憶の中枢」を縮める

研究の結果、最も注目すべき発見は、「研究開始時点で座っている時間が長かった人ほど、その後の数年間で『海馬』という脳の部位が速く縮んでしまった」ということです。
海馬は、新しいことを記憶するために不可欠な脳のエリアであり、アルツハイマー病などの認知症で真っ先にダメージを受ける場所として知られています。
さらに、脳の萎縮だけでなく、実際の認知機能テストの成績も低下していました。具体的には、「物の名前を素早く言う能力(呼称)」や「情報を処理するスピード」が、座りすぎの人ほど年々低下していく傾向が見られました。
ここで恐ろしいのは、この結果が「運動量の影響を計算で取り除いても変わらなかった」という点です。つまり、「たくさん運動しているから、その後ずっと座っていても帳消しになる」というわけではなく、運動は運動、座りすぎは座りすぎとして、独立して脳にダメージを与える可能性があるのです。
遺伝的にリスクがある人は要注意
この研究では、「APOE-ε4(アポイー・イプシロン4)」という、アルツハイマー病になりやすくなる遺伝子を持っているかどうかも調べられました。
その結果、研究の開始時点(横断的解析)において、この遺伝的リスクを持っている人は、座りすぎの影響をより強く受けていることがわかりました。
具体的には、遺伝的リスクを持つ人が長時間座って過ごしていると、脳全体(灰白質)の体積や、物事を計画・判断する「前頭葉」、空間を認識する「頭頂葉」といった重要なエリアの体積が、遺伝的リスクを持たない人に比べてより小さくなっていました。
これは、遺伝的に認知症のリスクがある人にとって、座りっぱなしの生活習慣を避けることが、脳の健康を守るために特に重要である可能性を示唆しています。
なぜ「座りすぎ」がいけないのか?

この論文の中では、なぜ座りすぎがこれほど脳に悪いのかについて、いくつかの可能性(仮説)が挙げられています。
一つは「血流」の問題です。長時間座り続けることは、体全体の血流、ひいては脳への血流に悪影響を与えます。また、座りすぎは体内の「炎症」を増やしたり、脳の神経細胞の柔軟性(可塑性)を低下させたりする可能性も指摘されています。
動物実験では、狭いケージに入れられて動けない状態のネズミは、自由に走り回れるネズミに比べて、脳への酸化ストレス(細胞を傷つけるサビのようなもの)が高いという報告もあります。
私たちが学ぶべきこと:運動プラス「座らない工夫」
この研究結果が私たちに教えてくれるメッセージは明確です。それは、「ジムに行く時間を確保するだけでは不十分で、日中の座っている時間を減らす努力が必要だ」ということです。
医師や専門家は、患者に対して「運動してください」と指導するだけでなく、「1日のうち座っている時間を減らしましょう」とアドバイスする必要があると論文は結論付けています。
具体的にどうすればよいか、この論文の文脈から言えることは、以下のようなライフスタイルの見直しです。
- 運動習慣があっても油断しない: 毎日ウォーキングをしていても、それ以外の時間にテレビやパソコンの前で何時間も座り続けていれば、脳へのリスクは残ります。
- こまめに動く: まとまった運動だけでなく、日常生活の中で座りっぱなしの時間を中断し、立ち上がったり動いたりすることが、脳の萎縮を防ぐ鍵になるかもしれません。
研究の限界とこれからの課題
もちろん、この研究にも分からないことはあります。参加者の多くが高い教育を受けた白人であったため、他の人種や生活環境の人々にそのまま当てはまるかはまだ確認が必要です。また、今回の研究は「関連性」を見つけたものであり、座りすぎを減らせば確実に脳が元に戻るかどうかが証明されたわけではありません。
しかし、7年という長い期間、客観的なデータを用いて脳の変化を追跡したこの結果は非常に重みがあります。
結論

要約すると、以下の通りです。
「高齢者において、座位行動(座りっぱなしの時間)の増加は、運動習慣の有無に関わらず、アルツハイマー病に関連する脳領域(特に海馬)の萎縮や、認知機能(記憶や処理速度)の低下と関連しています。特に遺伝的なリスクを持つ人では、その影響が脳の構造により強く現れる可能性があります。」
私たちは健康のために「運動」を足し算することばかり考えがちですが、同時に「座る時間」を引き算することも、脳の健康を長く保つためには極めて重要な戦略であると言えるかもしれませんね。

